スクールアイドル研究所

ラブライブシリーズのアニメ考察がメインです。考察という名の妄想ですが……

アニメ虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第6話 今更考察 ~璃奈ちゃんボードって何? その本質とは~

どうも、わたしです。

 

今回は第6話、天王寺璃奈の回です。

 

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毎回一応「考察」という貞で記事を出していますが、段々と考察ではなくなっていますね。そして、今回も考察という考察はないのです。

なぜなら、第6話もごちゃごちゃと考えずにストレートに観れば良い回です。というか、それ以外の選択肢はこの回にはありません。

 

基本は同じで「誰かの日常が変わる瞬間」を念頭に置いて観れば大丈夫です。いや、今回はそれすらも必要ないかもしれません。

 

ちなみに、第6話は「ラブライブ」や「スクールアイドル」というものの枠を超えて、色々と考えさせられる回でした。

ご存じの通り天王寺璃奈は自分の素顔の代わりにボードを付けて、表情を演出します。その奇抜な姿に最初は驚いた方も多かったでしょうが、考えようによっては我々も同じようなことを日常生活でやっています。今回はその辺りにも切り込んでいこうかと思います。

 

というわけで、今回はあくまで補足や感想です。いや、今までもそうだったのですが、今回は特にその傾向が強いということで……よろしくお願いします。

 

※ここから先はラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の第6話ネタバレを含みます。まだ本編を視聴していない、またはネタバレが嫌だという人は決して見てはいけません。マジで責任は取りませんので、悪しからず。

※基本的にこの考察はただのおっさんの妄想です。ひとりのラブライバーの解釈であり、これが「正解」であるなどと言うつもりは全くございません。あくまで、妄想・ジョークの類として受け取って頂ければ幸いです。

 

 

⊡ 天王寺璃奈が無表情なのは何故?

 

いきなりこんな見出しで「何故」と言われても、困りますよね。というのも、彼女が無表情なのに理由なんかありません。恐らく物心ついた時からそうですし、本編中にそれを説明する描写もありません。

 

本編中に具体的な説明などがないですし、私は専門家ではないので何一つとして断言はできませんが、璃奈ちゃんは自閉症スペクトラムと言われる症状にいくつか当てはまっている部分があります。

自閉症スペクトラムに関しては以下のリンクを参照してください。

 

www.smilenavigator.jp

 

璃奈ちゃんの場合は「表情が乏しい」や「一人遊びが多い」などが該当しますね。セリフでも「小さいころから一人で出来る遊びばっかりしていた」とあります。くどいようですが、該当するからと言って璃奈ちゃんが自閉症スペクトラムだと決めつけるわけではありません。

自閉症スペクトラムを例として出したのは「璃奈ちゃんの様に表情が豊かでない事で困っている人がいること」は、フィクションではないという事を言いたかったのです。

これは年末の記事でも書いた事ですが、こういった特徴は別に悪い事というわけではありません。人によっては長所として活かすこともできますし、身体的な特徴に個人差があるように、性格面でも個人差があるのと同じです。なので、これに当てはまっているからといって「自分はダメなのだ」と悲観する事はないのです。

 

「障害かどうか」という線引きを決めるのは難しいですが、昔ある心療内科の先生に私個人が言われた言葉に「自分が社会で生きていく中で困っているかどうかが大事」というのがありました。言い換えれば「困っていなければ大丈夫」というわけでもあります。

 

ただ、璃奈ちゃんの場合はセリフを聞く限りでは、こういった症状にコンプレックスを持っている事がわかります。冒頭のセリフを切り取ってみましょう。

 

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「想いを伝えることって、難しい……。私の場合は特にそう」

(このセリフは「ドキピポ☆エモーション」の歌詞まんまですね)

 

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璃奈「『友達になりたい』そんな一言を言うのにも、ハードルがある」

 

そして、愛さんと出会う描写がありますね。璃奈ちゃんはイケイケ上級生からカツアゲされていると勘違いしますが(笑)ここから二人は仲良くなっていったわけですね。

 

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璃奈「初めて人と繋がることができた。そして今の私は、もっとたくさんの人たちと繋がりたいと思っている。今からでも、変われるんだ!」

 

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というわけで、冒頭のセリフが大事なのはこの回でも同じです。

このセリフからわかるのは、こういった症状を自覚していたにも関わらず璃奈ちゃんは今まで、「積極的に克服しようとしなかった」或いは「克服しようとしたが失敗した」のどちらかだったというのがわかります。

繰り返しになりますが、克服しなかったからと言ってそれが悪いことだというわけではありません。これも本編を観ていればわかりますが、今まで人との接点をあまり持たなかった璃奈ちゃんは、無表情を克服する必要は特にありませんでした。

ところが、愛さんと優木せつ菜(スクールアイドル)に出会う事になり、自らの意思でスクールアイドルを始めた璃奈ちゃんは、これから必然的に多くの人と関わっていく事になります。

こういった変化を経て、璃奈ちゃんは自分の無表情が更に気になり始めたわけです。

果たして璃奈ちゃんはどのように、自分の無表情を克服するのか……というのが今回の回です。まぁ、説明しなくてもわかりますが。

 

⊡ 人と繋がる事

 

そしてもう一つ指摘したいのが、璃奈ちゃんは「愛さん以外の人とも繋がりを持ちたいと思っている」という事です。

後編のライブで披露する曲名が「ツナガルコネクト」とあるように、この回は「璃奈ちゃんが(愛さんではない)人との繋がりをちゃんと持てるのか」というのもテーマになっていきます。なにも無表情を克服するだけの回だけではありません。

愛さんに依存している自分を自覚したから弱点を克服しようとした……というのもありますが、それだけではありません。スクールアイドルとして徐々に台頭し始めた歩夢、愛さんは早くもPV効果でファンとの繋がりを持ち始めました。

 

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璃奈ちゃんのPV(?)も見たというファンの子達ですが、璃奈ちゃんのPVには自分ではなく自作のキャラクターしか映っていません。

つまり、褒められたのは自分ではなくキャラクターの方だったということを気にしだします。これがキッカケで、璃奈ちゃんは「自分のライブをすること」「クラスメイトと友達になる事」を決意します。

ちなみにこれは、後のちょっとした伏線にもなっています。「一人の友人に依存せずに、他の人とも繋がりを持つ」というのは、璃奈ちゃんだけの課題ではありません。

 

すぐにピンと来た方はご察しの通り、そう上原歩夢の課題でもあるわけです。

 

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既にある程度ファンを獲得している歩夢ですが、その視線はあまりファンの子達に向いていません。いち早く他人との繋がりを意識しだした璃奈ちゃんは、ある意味歩夢よりも先に走り出したと言ってもいいのではないでしょうか。

 

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少し話が逸れましたが、こうして璃奈ちゃんは本格的にライブに向けて特訓をします。

「無表情のままでよかった日常」を変えようとする、ということですね。

 

⊡ 「できない」ことは悪いことではない

 

人との繋がりを意識しだした璃奈ちゃんは、愛さん以外の同好会メンバーにも素直に「教えて欲しい」と助けを求めます。

 

当然同好会のメンバーはその希望に応えて、璃奈ちゃんをありとあらゆる面で手助けします。

 

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だんだんとスクールアイドルとしての技術であったり、体力を身に付けた璃奈ちゃんでしたが、相変わらず表情は変わらぬままです。

 

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これは説明するまでもないことだとは思いますが、当然璃奈ちゃんは表情が硬いだけで決して感情が無いわけではありません。

璃奈ちゃんがPV様に作ったキャラクターを見ても、実に表情豊かです。このキャラクターの笑顔やしぐさが、璃奈ちゃんがライブを楽しみにしているという事を彼女の代わりに表現してくれています。

 

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これだけ頑張ったのにも関わらず、自分が一番に克服したい表情を変えることが出来なかったことにショックを受け、文字通り自分の殻に引きこもってしまいます。

 

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本人がショックを受ける気持ちは充分わかるのですが、こういうものは先天的なモノだったりするので、本人の努力だけではどうしようもない部分があります。身長の低い人がどれだけ頑張っても後天的に身長を伸ばせないのと同じように、現実的にどうすることもできないのです。

 

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それを踏まえて、同好会メンバーは非常にシンプルで現実的なアドバイスをします。色々と言われていますが、纏めると「『できないこと』よりも『できること』を集中してやればいい」というところでしょうか。

璃奈ちゃんは自分が無表情だというたったひとつのマイナスだけで、全てがマイナスになってしまったと思い込んでいる節があります。いわゆる「事実の歪み」というやつです。

確かに璃奈ちゃんは無表情で、笑顔を売りにするアイドルであればマイナスに働いてしまうことは一般的に言えば間違いないのですが、璃奈ちゃんは機械に詳しく、PVの作成もこなすなどかなり優秀ですし、なにより客観的に見てかなりの美少女です。「無表情」というマイナスを打ち消すだけのプラスが沢山あるということに本人が気づいていないのでした。

 

⊡ 璃奈ちゃんボードの本質

 

さて、これはあまり自信が無い考察ですが、「璃奈さんとこういうお話出来たの、初めてですね」というせつ菜の言葉を聞き、璃奈ちゃんは「自分が無表情だということを気にしない状況を作れば、人と向き合うことが出来る(繋がることが出来る)」という事に気付きました。

 

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つまりこの段ボールを被った状況を再現し、さらに自分の表情(というよりも感情)を観客に伝えることができれば、それで問題は解決する……ということだと思います。(すいません、あまり自信は無いです)

 

そこで考え出したのが、あの「璃奈ちゃんボード」だったというわけです……。

 

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さて、この記事冒頭で私は「日常生活でも我々は(璃奈ちゃんボードと)同じような事をしている」と書きました。それについてちょっと補足しましょう。

璃奈ちゃんボードは顔全体を覆うその特徴故に、かなり奇抜に見えてしまいます。しかし、身体的な不足を補うために道具や機械を使用することは、我々にとって日常茶飯事なハズです。

例えば私は視力が弱いので眼鏡なしでは日常生活はままなりません。眼鏡じゃなくてもコンタクトレンズをしている方もいらっしゃいますし、他にも様々な身体的理由で車いすを使用したり、補聴器をつけたり、ペースメーカーを埋め込んだりと……挙げればキリがありません。

璃奈ちゃんボードが奇抜に見えるのは、我々が日常生活でボードを見たりすることがないだけであって、璃奈ちゃんボードの本質は眼鏡や車いすといったモノと変わらず、身体的な不足を補うための道具に過ぎないのです。

 

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それを考えれば、確かにちょっと最初に変だと思った璃奈ちゃんボードもしっくりくるはずです。

眼鏡や車いすを使っている人を笑ったりする人はいませんよね? というわけで、璃奈ちゃんボードを笑うことは我々ラブライバーにとって出来ないはずです。

 

そして、璃奈ちゃんはライブを通じてクラスメイトの子たちと心を繋げることが出来ました。何かをやりとげた後の彼女の"笑顔"は、ラブライブシリーズの中でも最高の笑顔だと言っても過言ではないでしょう。

 

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⊡ おわりに

 

いかがだったでしょうか?

最初に断った通り、今回は考察という考察はありませんでした。

 

ちなみに最後に余談をもうひとつすると、6話は筆者が一番心に響いた回でした。

個人的にはギャラクシー賞ものの回だと思うのですが、どうでしょうか? まあ、感想は人それぞれですからね。

 

というわけで今回はここまでです。

 

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました!

さよ~なら~~!!。