スクールアイドル研究所

ラブライブシリーズのアニメ考察がメインです。考察という名の妄想ですが……

アニメ虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第8話 今更考察 ~何故しずかすというカップリングが成立するのか~

どうも、わたしです。

 

いつの間にやらアニガサキ2期が始まろうとしていますが、この今更考察シリーズが終わる見込みは全くありません。

けどそんなことは気にせず、2期が始まったら考察をやっていこうと思います。ちゃんと出来るのでしょうか?まあ、暖かく見届けてください(笑)

 

さて、そんなことはどうでもいいのです。今回は第8話「しずく、モノクローム」について考察……という名の妄想をしていきましょう。

 

8話は演劇部に所属している逢坂しずく(以下しずく)がメインの回なだけあって、何かややこしい表現がところどころにありますが、そんなに難しい話ではありませんこれも、エマの回同様に難しい部分はキャラがセリフで補ってくれているからです。

特に注意深く観ていなければ置いてけぼりにされる……ということはありません。割とストレートに観て大丈夫なのかと思います。

なので、ストーリーの考察はあまりしません。それよりも今回は別の視点で考察を進めてみます。そう、カップリングという部分に目を向けてみましょう。

 

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虹ヶ咲も、他シリーズ同様に人気カップリングというものが(あくまで2次創作内で)存在します。虹ヶ咲でも屈指の人気カップリングと言えば、やはりしずく×かすみの所謂「しずかす」というカップリングではないでしょうか。あくまで私の体感ですが、しずかすがラブライブシリーズの中でもかなり2次創作が盛んに行われている気がします。

 

そこで、今回は8話を振り返りつつ、なぜ「しずかす」というカップリングが成立するのかを考察していきます。8話を観ると、きちんとこのカップリングが成立することに対して説得力が出てくるのです。公式がこのカップリングを意識したのかは定かではありませんが、この2人の相性の良さについての説明がこの8話がある程度されています。それでは見ていきましょう。

 

※ここから先はラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の第8話ネタバレを含みます。まだ本編を視聴していない、またはネタバレが嫌だという人は決して見てはいけません。マジで責任は取りませんので、悪しからず。

※基本的にこの考察はただのおっさんの妄想です。ひとりのラブライバーの解釈であり、これが「正解」であるなどと言うつもりは全くございません。あくまで、妄想・ジョークの類として受け取って頂ければ幸いです。

 

⊡ しずくというキャラクター

 

まず、しずくというキャラクターについて考えてみましょう。この回はしずく回というだけあって、しずくの本質というか、キャラ形成について多く触れられています。

 

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しずくは演劇部に所属しており、演技が自分の日常に浸透している人物です。そのため、「普段から演技をしている」というのが冒頭の謎インタビューで明かされます。

 

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その前にあった「あなたの理想のヒロインになりたい」という下りも、同様ですね。インタビューの内容も踏まえて捉えると、誰かの理想のヒロインを想像して常に演じているしずくと、その奥に隠れた「理想のヒロイン」とは程遠いしずくが冒頭の白と黒の2面性で象徴されているといった具合でしょうか。

 

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で、細かい表現はその後も続きます。しずくの降板が伝えられるシーンも。わざわざ鏡を背景にしているのは先ほどの2面性を彷彿とさせるためですね。もちろんこれは妄想の世界とかではなく現実なので、鏡のしずくが別の表情をするということはありませんが、冒頭のシーンを思い出してしまうと鏡の向こうのしずくが動き出すのではないかと想像を掻き立てます。ここらへんも、アニメーター泣かせではありますが中々に凝った演出でしたね。

話をストーリーに戻すと、「常に演技をしているしずく」は今回の役の特徴である「自分をさらけだす」という役に向いていないのではないか、との判断が下り、降板に至りました。諦められないしずくは奮闘するも……というのが8話の大まかなストーリー構成ですね。

 

⊡ 白と黒のしずく

ストーリーの進行については今回は特に触れません。記事冒頭でもお伝えした通り、8話は特に難しい話でもありませんし、大事なところだけ抑えておけばストーリーを理解するのに苦労することはないからです。

 

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白と黒のしずくの表現は続きます。色々言ってますが、要約すると「本当の自分をさらけ出して人に嫌われないかと心配してしまうあまり、いつの間にか演技をすることでしか人前に出られなくなった」というところでしょうか。

「自分を偽っている」事に、恐らく今回の降板をきっかけに一種の罪の意識のようなものを感じてしまうしずく。ここが今回のストーリーのポイントですね。辛口なコメントをすると、割とフィクションの世界では使い古されたテーマではあります。

 

で、降板の話の聞きつけしずくを元気づけようとするのが、かすみ率いる一年生組でしたが……肝心のしずくはどこか上の空。やはり動揺しているのか、いつもの演技が上手くいっていないのでしょう。

 

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他人を不安にさせたくないのか、しずくはそそくさと帰ってしまいます。そんな自分にまた嫌悪感……。「出来ないよ、(自分を)さらけ出すなんて」と悩むしずく。テーマがテーマだけに、ラブライブには珍しく暗い展開です。

 

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テーマがテーマだけになんだか壮大な雰囲気だけはありますが、これも結局のところよくある日常の風景です。特に思春期を迎えた人間なら尚更ではないでしょうか。人は社会に適応するために、大なり小なり色んな自分を使い分けています。別に特別な事では無いですし、そういう意味ではしずくは非常に器用な人間だという評価も出来るので別に悩むことは無いのですが、やはりまだまだ若いせいか思い詰めてしまいます。

 

自分を使い分けている……というわけではありませんが、非常に似たようなキャラクターが虹ヶ咲にいますね。そう中須かすみです。実はかすみもしずくと非常に似たキャラクターであると言えます。どういうことかみていきましょう。

 

⊡ しずくとかすみ

 

しずくの新たな一面を知ったかすみは、しずくを励まそうとします。

 

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人から嫌われるかもしれないと考えると、自分をさらけ出すことが怖くなると吐露するしずくですが、そんなウジウジしているしずくにかすかすは激を入れます。

 

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(かすかすパーンチ!)

かすみ「嫌われるかもしれないからなんだ! かすみんだって、こーんなにかわいいのに、褒めてくれない人がたくさんいるんだよ」

 

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中略

かすみ「しずこも出してみなよ! きっと頑固なところも、意地っ張りなところも、本当は自信が無いところも、全部! もしかしたらしずこのこと好きじゃないって言う人もいるかもしれないけど、私は逢坂しずくのこと大好きだから!」

 

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解説するまでもないですが、かすみは「どんな一面を出したとしても嫌いな人もいれば好きになる人もいるので気にすんな」ってことを言いたいのでしょう。

 

さて、ちょっとここから考察していきたいのですが、かすみは一体どこからどこまでが素なのでしょうか? 

このセリフを聞いている感じでは、「自分をさらけ出した結果がこの可愛さだ」とでも言わんばかりなので、かすみの素(自分をさらけ出した姿)は、我々が普段見ているかすみと遜色ないと考えてしまいそうですが、果たしてそうでしょうか?

 

私たちはスクールアイドル以前のかすみを知らないので、いつからかすみがこのような所謂「あざとい」キャラになってしまったのかは分かりませんが、恐らくどこかのタイミングで「演技」をしなければこのようなキャラクターを形成するのは不可能だと筆者は考えています。

 

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かすみの場合はしずくと違って自分の振る舞いを「演技」と定義していなかったり、あるいは「卵とニワトリ」のように、スク―アイドルとしての自分と前の自分がどちらが先だったのかもう区別できないほど、「かすみん」というキャラが定着してしまっているのでしょう。

そういった違いはありますが、基本的にこの2人はある種の「演技」が基本となっているキャラクターには違いありません。そういう意味でも似た者同士ですし、だからこそお互いの事をよく理解できる……という解釈もできます。ちゃんとお似合いのカップリングには、それなりの理由がある……という事ですね。

 

⊡ おわりに

 

かすみの言葉もあり、しずくは「本当の自分」をさらけ出すことが出来ました。それは本編中にある演劇を見ればハッキリとわかりますね。

 

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衣装が融合したのは、演技をしている自分も、本当の自分も、どちらも自分なのだという表現だと筆者は感じましたが、どうでしょうか? オーソドックスな解釈ではありますが、もっと多義的な意味もあるようにも思えます。

 

本当の自分をさらけ出すことが出来た自分は最後にインタビューで「本当の自分をこれからも見てください」と笑顔で締めくくります。これは、冒頭に行われたインタビューの「演技をしている自分」の対比になっていますね。最後にこういった演出を持って行くのも、中々でした。

 

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というわけで、今回はここまでです。

 

次回はたぶん、2期第1話の考察をやっていきます。このシリーズは一旦封印するかどうかはわかりませんが、引き続き完結を目指していきます!!気長に待ってください!!

 

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます!!

 

それではまた!!アディオス!!