スクールアイドル研究所

ラブライブシリーズのアニメ考察がメインです。考察という名の妄想ですが……

劇場版ラブライブ!The School Idol Movie 今更過ぎる考察 前編 ~なぜ舞台がニューヨークなのか~ 

皆さん、こんにちは。私です。

この記事は長いので前編・後編と分かれております。

 

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いきなりこんなことを言うのもアレですが、この記事は私のスパスタロスを埋めるために書いてるようなところがあります。とはいえ、手を抜くつもりはないのです。

 

スパスタ第12話の考察記事で、しれっと予告したように劇場版のラブライブ!The School Idol Movieを考察していきます。

 

しかし、今更劇場版ラブライブ!の考察なんて、もう何番煎じかわからない、というぐらい皆さま手を出されています。そりゃ、そうですよ。だってもう何年前の映画なのかっていうぐらい時が経っていますからね。

 

さて、いろいろ書くとは思いますが、冒頭にこれだけはハッキリとさせます。

 

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この記事は、上記カットの考察をゴールにしています。

何故かというと、それ以外の考察ってもう誰も彼もが手を出しているので、今更私が考察する事なんて本当は無いんです。

逆に言えば、私が色々チェックした限り、このカットの意味を考察しているブログ記事だとかって、全然みませんでした。もちろん、見落としてる可能性はありますが。

 

私は常々こう思ってました。

 

「何でこのシーンについて誰も言及してないんだ……?」

「ここは、この映画の中で最も重要なところじゃないの……?」

 

と、色んな妄想が止まらずに、ついに行き着いた先が「ブログを開設する」という行動でした。

言ってみれば、この劇場版ラブライブ!は、私がブログを書き始めるようになったひとつのきっかけの映画でした。

 

色々調べたいことが多く、たどり着いたのが「Love Live! Aftertalk」さんのこの記事でした。

ishidamashii.hatenablog.com

これも最初に言っておきますが、私のこの記事なんて読んでる暇があったらこちらの記事を読んだ方が、ラブライバー的にはよっぽどタメになります。だって、もう全部書いてるんだもん笑。

そして、あれこれしているうちにスパスタが始まって、スパスタの考察記事を書きだした……というわけです。

すいません、私の話はどうでもいいですね。

 

というわけで、私の長すぎる前置きはこのぐらいにして、本編の考察をなるべくコンパクトにまとめていきましょう。

冒頭でお伝えしたように、あのカットの考察がメインなので、それにあまり関係しない考察は省かせて頂きます。もう大体似たような考察が多くなってしまいますが、しょうがないですね。だって、もうみんな書いてるんだもん笑。

 

※ここから先はラブライブ!The School Idol Movieのネタバレを含みます。まだ本編を視聴していない、またはネタバレが嫌だという人は決して見てはいけません。マジで責任は取りませんので、悪しからず。

※基本的にこの考察はただのおっさんの妄想です。ひとりのラブライバーの解釈であり、これが「正解」であるなどと言うつもりは全くございません。あくまで、妄想・ジョークの類として受け取って頂ければ幸いです。

 

 

⊡ 過去・現在・未来の穂乃果

まず最初に触れておかなければいけないのは、この映画には「3つの時間軸の穂乃果」が登場するということです。こう書くとかなりの語弊がありますが、便宜上そう表現させて頂きます。

 

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冒頭で幼少の穂乃果がいわゆる「水たまりチャレンジ」を行っているので、過去の穂乃果が描かれている、というのはわかりやすいですね。この冒頭だけでも凄く重要な伏線が張られていたのは、もう皆さんご存じの通りです。

しかし、実を言うと「なぜこれについて誰も触れていないんだ!?」という伏線が、本当にこの冒頭に出てきてるんです。それは追々説明いたします。

 

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現在—というのは言うまでもなく高校2年生の穂乃果です。つまりは、皆さんがよくご存じのあの穂乃果のことです。これは本当に言うまでもないですね。

 

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さて、嫌でも触れておかなければいけないのは、やはりこの女性の存在です

多くの方が考察されているのが、この女性は「未来から来た穂乃果」だという説です。不正解であるというつもりはありませんが、私はどちらかと言えばその説に対しては否定的です

結論から言うと、この女性は「穂乃果の未来を暗示する女性」であり、「穂乃果の心理が生み出した存在」という2つの役割を持ったキャラクターであると考えています。

これを「未来」だと形容するのは多少強引だとはわかっていますが、便宜上「未来」という表現を使わせて頂きます。

この女性に関しては避けて通れないのでもう少し詳しく、外堀を埋めていくような形で説明していきましょう。

 

⊡ メインは穂乃果の悩み

最初に断っておきたいのは、この映画にはμ's全員が出ますがストーリーのメインとなっているのはやはり穂乃果です。

 

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この映画は、「μ'sを始めた」穂乃果が「μ'sを終わらせる」ことに悩み⇒苦悩し⇒そして解決する、というのがメインとなっています。

言ってみれば、普通の女子高生の悩みを映画にしたというようなことです。例えばこれをなんでもいいですが普通の部活、例えば団体競技のチアリーディングに置き換えてみましょうか。

チアの全国大会で優勝した女子高生A子ちゃんが、3年生の卒業(この場合は自身の卒業の方が良いでしょうか)をきっかけにチアを続けるかどうか悩む。卒業したあとも別のチームでチアを続けるのか、それともこれをきっかけに新しい事を始めるのか。いっそのこと、本場アメリカでプロのチアリーダーを目指すのか……。どちらにしても、新しい環境に適応できるのか、とても不安だ……。私はこれからどうなっていくのだろうか……。

と、まあ真剣に部活に打ち込んで結果が出た人なら、こういった悩みは結構普遍的だと思います。別に部活じゃなくても、引っ越しや転職など、新しい環境に身を移すことに悩み、戸惑ったりすることが我々の人生では多々あります。そういったある意味「普遍的な悩み」を「穂乃果が解決する」というのがこの映画の大筋です

 

まず大前提として、そういった問題に対して「穂乃果が悩んでいる」というのがあります。そう考えると色々な事が腑に落ちるのです。

 

⊡ なぜニューヨーク(海外)なのか

 

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この映画が「穂乃果(μ's)の悩みを解決する」というのがストーリーラインなのであれば、物語の前半の舞台がニューヨークになっていることに対して、一応の説明がつきます。

「μ'sを辞める」というのは、つまり環境がガラッと変わったり、新しい世界へと飛び込むことを意味します。もちろん視聴者は、「スクールアイドル」としてのμ'sメンバーしか殆ど知らないわけですが、視聴者にとっても「スクールアイドルではないμ's」というのはかなり未知な存在なわけです。

「未知のモノ」や「異世界」の記号として、この映画ではニューヨークが描かれていますもっと言うと、「スクールアイドルを辞めた後のμ'sの未知なる世界」としても隠喩として描かれています。

 

未知なる世界に対してのメンバーの反応は様々でした。二人ほど見ていきましょう。

まずNYに着くなり、いきなり海未ちゃんが泣いています(笑)。

 

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これだけだとギャグシーンのようですが、海未ちゃんはとにかく、「未知のモノ」に対して警戒心が強いのです。

 

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それは、μ'sを始めたばかりの頃もそうでした。「スクールアイドル」というものに対して警戒心が強く、本人も最初は「イヤイヤやっていた」と言っていましたね。

 

海未ちゃんのように警戒心が強いキャラクターもいれば、割とすんなりと受け入れるキャラもいましたね。そう、例えばことりちゃんとか。

 

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もちろん他にもNYに対して好意的だったメンバーはいるのですが、あえてことりちゃんを選んだのは、海未ちゃんとの比較を考えるとわかりやすいからと、もう1つ理由がありますがそれは後編で。

そう、最初からすんなりとNYという「未知」を受け容れたのと同じように、ことりは穂乃果の「スクールアイドルをする!」という決断をすんなりと受け入れた人物でした。こんな感じでことりは「未知なるモノ」に対して割と強い耐性を持っています。図太い性格だとも言えますね。

 

このようにメンバーの反応は様々ですが、「未知の世界に飛び込んで最初は戸惑うかもしれないけど、そのうち落ち着くから大丈夫だよ」というのがこの映画のメッセージでもあります。それは、以下のセリフからもわかります。

 

海未「最初は、見知らぬ土地で自分たちらしいライブが出来るのか心配でしたが……」

凛「そっか……わかった。わかったよ!この街にすごくワクワクする理由が! この街ってね、少しアキバに似てるんだよ!」

絵里「この街が?」

希「アキバに?」

 

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凛「うん! 楽しい事がいっぱいで、次々と新しく変化していく!」

ことり「実は私も少し感じてた。凛ちゃんもそうだったんだね!」

絵里「言われてみれば、そうかもね。何でも吸収して、どんどん変わっていく

希「だからどの場所でも、μ'sっぽいライブが出来そうって思えたんかな」

 

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最初筆者も「この会話は一体なんだ!?」としか思えませんでしたが、改めて聞いてみるとすごいメッセージです。

「見知らぬ土地」というのが、「新しい事」や「未知なるモノ」の記号だというのは前述したとおりですそれ(スクールアイドルを始めること)に対して「不安だった」と海未ちゃんが吐露しています

凛ちゃんと絵里が言っている「次々と新しく変化していく」「何でも吸収して、どんどん変わっていく」というのは、「スクールアイドルを通して変化していった自分たち」の事を指しています

そういった「未知なる世界」も最初は怖かった。それは、恐らく海未ちゃんだけではなく、メンバー全員が「新しく始めること」に対して「怖い」という感情があれば「ワクワクする」と期待を膨らませたりもしたはずです

そういった「スクールアイドルを始めたころの自分たちの環境」に類似性を見出したメンバーたちは、きっとこの世界でも(どの場所でも)「μ'sっぽく(自分らしく)」いられるはずだと確信する、というシーンなのです

 

つまり、もう結論を物語序盤で言っていた、ということになります。

あとのストーリーは、実を言うとその結論に至るまでの過程を詳細に再現しただけに過ぎないのです。つまり、メインを本格的に穂乃果に移し、穂乃果が「未知なるモノ(スクールアイドルを辞めた後)」に怖がり⇒変化していき⇒どの場所でもμ'sっぽく(自分らしく)いられると悟る、というのが「これから起こりますよ」という暗示でもありました。

 

⊡ 穂乃果の葛藤

問題提起としてメンバーたちが「未知なるモノ(新しい環境)」に適応できるのか、というのはもう前述した通りです。

そして、物語もある程度進むとフォーカスが穂乃果へと移っていきます。もちろん、他のメンバーは他のメンバーでそれぞれ同じことで悩んでいるはずですが、この映画では主人公の穂乃果にフォーカスを当てて「その問題をいかに解決するのか」が描かれています。

メインが穂乃果になったことで、先ほどの海未ちゃんやことりちゃんとは比較にならないほど、穂乃果の「未知なるモノ」に対しての「恐怖心」や「ワクワクする感じ」が詳細に描かれています。やはり、この映画のメインですからね。

 

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さて、おとぼけたシーンのように見えてしまいますが、穂乃果はμ'sメンバーとはぐれてしまいます。これは非常にわかりやすいですが、「μ'sメンバーと逸れた=μ's(スクールアイドル)ではない」穂乃果として描かれてあります

つまり、ここからμ'sと合流するまでが「スクールアイドルを辞めた後」の穂乃果の「再現」となります。

 

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他のメンバーとは全く違う駅に着いてしまった穂乃果。そこは異世界としての演出がタップリと用意された、まさしく穂乃果にとっての「未知なる世界」でした。

上カットのシーンも非常に重要です。ぶつかりそうになった女性に対して「すみません!」と日本語で穂乃果は言いますが、女性は「Sorry!」と気さくに応えます。それに対して穂乃果は「ソーリィ……」と力なく呟きます。

当たり前ですがアメリカなので日本語は通じません。しかし、それがこの映画では重要な意味を持ってしまいます

今まで穂乃果は「スクールアイドル」という「共通言語」で、それこそμ'sやA-RISEといった人々と交流し、絆を育んできました。しかし、「未知なる世界(新しい環境)」では穂乃果が今まで使っていた「共通言語(スクールアイドル)」は殆どの人に通用しません。

「スクールアイドル」を辞めてしまい、その「共通言語」を失えば、スクールアイドルを辞めた先に待っている「未知なる世界」では今までのようなコミュニケーションはままならないかもしれません。日本語が通じないのは当たり前と言えば当たり前ですが、この映画では上記のような意味を持ってしまっています。

 

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更に「未知なる世界」に迷い込んだ穂乃果。行き交う人々は言葉も通じないどころか、日本ではあまり見ないような様々な人種で溢れかえっています。もちろんこれも場所がアメリカのニューヨークなので当たり前ですが、これも「異世界」としての演出のひとつです。ニューヨークが舞台になった大きな理由のひとつですね。

 

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テレビアニメ第2期以降、穂乃果は殆ど神様のような描かれ方がされています。破竹の勢いとリーダーシップでμ'sを引っ張り、ラブライブ優勝へと導きました。

しかし、「異世界」に迷い込んだ穂乃果は非常に弱々しい存在として描かれています。それもそのはず、異世界」では「スクールアイドルとしての穂乃果」は存在できず、「共通言語」も通じません

 

⊡ 謎の女性シンガー

 

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そんな中で会ったのが、例の女性シンガーというわけです。ここまで長かったですね笑

この女性が半ば「未来から来た穂乃果」というようにSFチックな説を唱えている人が多いのは、この女性が明らかに穂乃果の容姿を模して造られたキャラクターだからでしょう。似たようなオレンジっぽい髪色に、瞳の色も青です。明らかに年齢は穂乃果より上なので、「未来から来た穂乃果」といった事を言う人が多いわけですね。

冒頭でもお伝えした通り、筆者はこの説には否定的です。理由は色々ありますが、「穂乃果の悩みを解決する」という心理的な問題に対して「タイムスリップした本人が来る」というのはあまりにもそぐわないのではないかと考えているからです。

「未来から来た」と説くよりは、やはりLove Live! Aftertalkさんが記事でも書いていた通り、この女性は「穂乃果の心象心理が作り出した存在」と考える方が色々と辻褄が合います。映画の中でもそれを表すようなエビデンスが結構ありますし、なによりこの女性は色々なモノの象徴として描かれています

 

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まず、この女性と穂乃果は迷い込んだ「異世界」の中で出会います。何もかもが自分とは違うものばかりの世界だと思い込んでいた穂乃果でしたが、日本語が通じて、しかもなんだか容姿も自分と似ている日本人と出会うことが出来ました

中盤で凛ちゃんがニューヨークを「少しアキバに似ている」と形容したように、筆者はこの出会いについて「どんなに違った世界だと思っても、自分と似たような人やモノは必ずいるんだよ」というメッセージだと受け取りました。

そういったことを表現したいがためにも、この女性シンガーの見た目はやはり穂乃果に寄せている、というふうに捉えることも出来ます。

 

⊡ 未来の象徴

くどいようですが、この女性シンガーが「未来から来た」というのに否定的です。

しかし、この女性が「未来の穂乃果を暗示する存在」として描かれているのは間違いないと思います。似ているようで全く違うので、敢えて再度強調させてください。

この女性シンガーは「未来の穂乃果」を「暗示」しています。

まず、この女性のセリフには、穂乃果の要素がふんだんに盛り込まれています。

例えばこのセリフ。

 

女性シンガー「これでも、昔は仲間と一緒にみんなで歌ってたのよ。日本で

穂乃果「そうなんですか?」

女性シンガー「でも、色々あってね。結局、グループも終わりになって。当時はどうしたらいいか、よくわからなかったし。次のステップに進める、いい機会かな~とか、考えたりしたわね」

 

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こういった穂乃果の要素があるからこそ、先ほどの「未来穂乃果説」が多いのでしょう。この女性が穂乃果の心理が作り出した存在だと仮定するなら、やはり穂乃果の情報と類似した点があって当然です。

 

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この女性が経験したかつての境遇が、あまりにも今の自分と似ている穂乃果は「それで、どうしたんですか?」と質問します。

 

女性シンガー「簡単だったよ。とっても簡単だった」

 

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暗いNYの街中に、車のライトを浴びながらそう答える女性。わざわざ暗い夜のNYでこのシーンが行われているのも、穂乃果の悩みの陰鬱さを演出しているからですしかし、そこに来て女性シンガーが穂乃果の質問に対して答える際に、車のライトを浴びているのは「光=希望」を象徴しています。どんなに暗い環境でも、光を浴びる瞬間はある、ということですね。

 

女性シンガー「今まで自分たちが何故歌ってきたのか。どうありたくて、何が好きだったのか。それを考えたら答えはとても簡単だったよ」

 

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これももちろん、穂乃果の中に答えはあって、穂乃果がいずれする決断に対してのヒントになっています。その決断とはもちろん、「μ'sを終わりにする」という決断ですね。

その決断に至った根底にあるのは「自分たちはスクールアイドルであることに拘りたい」という理由があったからでした。「自分たちがどうありたいのか」というのは、最初からμ'sの中にあって、それは考えれば「簡単なことだよ」と女性シンガーはもう言っています

つまり、最初から答えはもう穂乃果の中にあったのです。その答えを探して、自問自答していく中で穂乃果はこの女性シンガーの存在を自分の中につくりだしていた、という風に筆者は考えています

そして、女性シンガーの言っていた「考えたらとても簡単だった」は、穂乃果の未来のことを言っています。「すぐにわかる」という予言めいた事を言っていたのは、きっと未来で「あなたもそうなるよ」という暗示のようでもあります。つまりは、穂乃果による自己暗示でもあるわけですね。

 

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穂乃果の中にしか彼女は存在しないので、この女性シンガーの存在を確認できるのは当然穂乃果だけです。

しかし、ここで疑問が残るのは「女性シンガーが持っていたマイクを、穂乃果が「現実として持っている」という問題です。これに関しては、「となりのトトロ」の「夢だけど、夢じゃなかった」というあのセリフが表すのと同じように、この映画の「穂乃果の悩みを象徴するシーン」が「どこからが現実でどこまでが夢なのか」というのを意図的に分からなくさせている、という演出の一部なのです。

マイクに関しては色んな解釈ができます。例えば、あの女性シンガーは元々穂乃果がつくりだしたものなのだから、マイクは当然「元々穂乃果が持っていたものだった」という風に解釈することも出来ます。ただ、これに関しては本記事ではそこまで重要ではないので、あまり深読みはしないようにします。皆さんは、あのマイクはどういう意味だと思いますか? よければコメントで教えて頂ければ幸いです。

 

と、前編はここまでです。

 

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ここまで読んでくださって、ありがとうございました!

後編に続きます。