スクールアイドル研究所

ラブライブシリーズのアニメ考察がメインです。考察という名の妄想ですが……

劇場版ラブライブ!The School Idol Movie 今更すぎる考察 後編 ~BGMまで伏線だった恐ろしい映画~ 

どうも、私です。

 

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この記事は、前回の記事の続きとなっております。まだ、読んでない方は前編をご覧ください。

jmusublog.hatenablog.com

よっぽどせっかちな方はここから読んでも大丈夫です。

 

それでは引き続き、後編よろしくお願いします。

 

※ここから先はラブライブ!The School Idol Movieのネタバレを含みます。まだ本編を視聴していない、またはネタバレが嫌だという人は決して見てはいけません。マジで責任は取りませんので、悪しからず。

※基本的にこの考察はただのおっさんの妄想です。ひとりのラブライバーの解釈であり、これが「正解」であるなどと言うつもりは全くございません。あくまで、妄想・ジョークの類として受け取って頂ければ幸いです。

 

 

 

⊡ 穂乃果の「異世界」に出現する女性シンガー

もう少し、穂乃果の悩みと女性シンガーにフォーカスを当てて見ましょう。前編の最後の方で穂乃果の悩みを象徴するシーンが、どこからが現実でどこまでが夢なのか分からなくなっていると書きましたが、μ'sが日本に帰ってからもそういったシーンはあります

画像を挟んで細かく見ていきましょう。まず、穂乃果はA-RISEに呼び出され、車で拉致A-RISEが卒業後はプロのアイドルとして活動することを告げられます。

 

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その後穂乃果は昌平橋の辺りで降ろされ、A-RISEの「もっと大きな世界で羽ばたいていきたい」というモノローグと共に街を徘徊します。

 

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穂乃果の服装と背景に注目してください。穂乃果は青っぽい上着、ピンクのTシャツに半ズボンという、殆ど寝間着のような服装でA-RISEに連れ出されています。そして、この時の時刻は夜だというのは、画像を見て頂ければわかると思います。

そして、μ'sメンバーのカットがひとしきり続いた後で、穂乃果のカットに変わります。背景は昼間で曇っていて雨が降っています。そして、穂乃果の服装は制服になっています

 

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なんとなく見ていたら意識出来ないかもしれませんが、先ほどA-RISEに連れ出された時とこのシーンでは、連続性が無く唐突に挿入されたシーンの様にも見えます。もちろん、A-RISEとのシーンから一夜明けたのだという解釈もできますが、やはり筆者としてはちょっと映像的に不自然な繋げ方のように思えます。

そして、また穂乃果は悩みます。みんながμ'sを欲しているという現状に、当初の「μ'sを終わりにする」という決断が揺らいでいきます。

もうお気づきかもしれませんが、穂乃果が「悩んだ」ということは、穂乃果は「異世界」に迷い込んでしまっていますそして、先ほどの不自然とも見える映像のつなぎ方で、またしても視聴者はこれが「現実なのか夢なのか」が分からなくなっています

 

そして、そんな矢先に登場するのがもちろんあの女性シンガーです。

 

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もうこの画像を見ればわかりますが、日本のアキバの隅っこで、しかもこんな雨が降っている時に歌うのは、明らかに不自然です。

さらに穂乃果を追っかけているかのように、ニューヨークからこのアキバへと移動するのは、もはやホラーだと感じる人もいるのではないでしょうか

こういった不自然な出来事が起こり、またしても視聴者は「これは夢か?」と疑問に思うのです。筆者としては、この雨のシーンはやはり穂乃果が作り出した心象風景なのだと考えています。

それを裏付けるかのようなシーンが、このあと登場します。

 

⊡ 「跳べる」という記号

 

女性シンガーに目を閉じるよう言われ、穂乃果は目を閉じます。すると、女性シンガーの「跳べるよ」という言葉と共に突如として突風が吹き、穂乃果はなんとも幻想的な世界へと飛ばされます

 

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書いて字のごとく、これはもちろん穂乃果の幻想です。しかし、同時に女性シンガー(穂乃果)自身が穂乃果に見せたい光景でもありますややこしくてすいません。

まず、先ほどの雨が降って陰鬱な曇り空だった景色から一転。穂乃果の前には非常に明るい晴れ渡った景色が広がっています。

穂乃果の「異世界」は悩んでいる彼女の心象風景を表しているので、どこか暗いものばかりでした。しかしそんな穂乃果の悩みを、女性シンガーがこの明るい光景を穂乃果に見せることによって、文字通り突風と共に穂乃果の悩みを「吹き飛ばそう」としているのです

花びらが舞っているのも、後々に大きな意味を持ちますが、ここではひとまず置いておきましょう。

 

女性シンガー「跳べるよ! いつだって跳べる。あの頃の様に!!」

 

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そう言うと、穂乃果の幼少期の「水たまりチャレンジ」のカットが出てきます。

 

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女性シンガーが何故穂乃果の目の前に大きなみずたまりを用意していたのかは、この幼少期の「水たまりチャレンジ」を思い出してほしかったからです

そして、やはりこの女性が穂乃果の「心の中にいる」ということのエビデンスになるものとして、「跳べるよ、あの頃の様に」というセリフがあります。まるで穂乃果の過去を知っていたかのようなセリフですが、これも彼女が穂乃果の心の中にだけ存在する人物であり、何より穂乃果自身があの時の事を思い出したかったからだというのが筆者の考えです

 

そしてもうひとつ、重大な伏線があります。幼少期穂乃果とこの幻想風景のシーンで、「水たまり」や「穂乃果が跳ぶ」ということ以外に、共通して使われている要素があります。

 

それは、画像をいくら用意しても説明することが出来ないのが残念です。何故なら筆者が言う重大な伏線とは、音—つまりはBGMにあります

この2つのシーンで流れているBGMが、穂乃果の悩みを解決する「記号」として使用されています。

 

 

しれっとリンクを載せておきます。

このBGMのタイトルは「ほのかな記憶」だそうです。

この「ほのかな記憶」というBGMが使われるのは映画を見渡しても3ヵ所しかありません。

ひとつは、この映画が始まる本当に冒頭です。幼少期の穂乃果が「水たまりチャレンジ」をするシーンに入る冒頭に、この音楽が流れています。

 

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そして、2つめ。「未来を暗示する」女性シンガー、の幻想的なシーンに入った時です。この時にも、このBGMは流れています。

 

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もうひとつはここまで読んでくださった方だとわかると思いますが、ひとまず置いておきます

さて、ここで問題にしたいのは、「このBGMが流れてくるのには、どういった意味があるのか」ということです。

このBGMのタイトルは「ほのかな記憶」です。この映画で描かれている穂乃果の「記憶」は当然幼少期の「水たまりチャレンジ」ということになりますそうすると、必然的に「水たまりチャレンジ」の意味を考えなくてはなりません。

 

⊡ 水たまりチャレンジ

「水たまりチャレンジ」が意味するのは、もちろん「挑戦や失敗を恐れないキモチ」の事だったりします。人は大人になると、経験を積むと同時に色んな想像力が膨らみます。跳んだ先に何が待っているのだろう。転んで怪我をするかもしれない。怪我をしたら生活や仕事に支障が出るかもしれない……等々。

しかし、子供の時にはそういった想像力が欠如しているためか、挑戦に対して非常に「無邪気」な存在でいれる時でもあります。「水たまりチャレンジ」はそういった子供の時だから取れる、挑戦への意欲の象徴だったりします。

そして、もうひとつ可能性として提示したいのは「水たまりチャレンジ」自体が「未知なる世界」への挑戦として描かれている、ということです

 

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先ほどのμ'sメンバーたちのニューヨーク(未知なる世界)に対する反応を思い出してください。ニューヨークの時と同じように、海未ちゃんは木陰に隠れて穂乃果の「水たまりチャレンジ」を見守っています

 

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つまり、子供の時の警戒心がそのまま「未知なる世界」でも海未ちゃんの場合は反映されていた、ということになります

 

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それでは、我らがことりちゃんはどうでしょうか。ことりちゃんは「水たまりチャレンジ」自体には参加していません。しかし、画像を見てわかる通り、海未ちゃんよりは「水たまり」に近いところで、穂乃果のチャレンジを見守っていますこれもニューヨークでのことりちゃんと同様に、少なくとも海未ちゃんよりは「未知なる世界」に対して好意的であることが現れています

 

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そして、穂乃果はもちろん「水たまり」に跳び込んでいくどころか、それすらも「跳び越えていく」存在として描かれています。

そういう穂乃果だったからこそ、ことりちゃんも海未ちゃんも惹かれていき、「スクールアイドル」という「未知なる世界」に跳び込むことが出来たわけですね

長くなりましたが、「水たまりチャレンジ」は穂乃果の「新しいことへの挑戦意欲」だったり、「諦めないキモチ」だったり、そして「答えを出す」など、様々なことの象徴として描かれています(ハッキリしてないようだったらすいません)。

そういった事を、悩んでいる穂乃果が思い出すと、悩みが「解決」に導かれる……という構造になっています。

そして、BGM「ほのかな記憶」が流れている時には、穂乃果がこういった幼少の時に持っていた気持ちを取り戻した時に使われています幼少の記憶をBGMという「記号」として用いて、この映画では効果的に使っています。いやはやなかなか……。

 

さて、完全な余談ですが、筆者は意図的に「諦めないキモチ」という言葉を無理やりねじ込みました

どこかで聞いたことのある言葉ですよね? そう、スパスタの主人公・澁谷かのんが言っていた言葉です(正確には唐可可の歌詞から引用された言葉ですが)。

 

jmusublog.hatenablog.com

 

スパスタ第11話でかのんは、「ひとりで歌えない」という問題を解決するために、過去の自分と向き合っています。この構図はまさしく、この映画の穂乃果と同じです穂乃果も、自分の悩みを解決するために自分の過去を振り返っていました。この2人の主人公の悩みはそれぞれ違うものでしたが、まさしく答えは自分の中にあったのでした。

 

⊡ 夢と現実

話を戻しましょう。

幻想世界の中で、穂乃果はかつてのように跳びます。

 

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そして、そのシーンと交差させるかのように、絵里のモノローグが挟まれます。

 

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絵里「あのあと、3人だけで話し合いました。人気が出た事。私たちの歌が、多くの人に聞かれている事。ラブライブのために、力を貸してほしいと言われている事。嬉しく思いました。でも、私たちの答えは変わりませんでした。μ'sを続けることは、ありません。私たちはやっぱり……」

 

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「スクールアイドルであることにこだわりたい!」

 

このセリフと同時に、穂乃果は跳びます。序盤でもお伝えした通り、これが結局のところμ'sの出した結論であり、穂乃果の悩みを解決する「答え」なわけです

 

絵里「わたしたちは、スクールアイドルが好き」

 

絵里のそのセリフの後、いつの間にか穂乃果の部屋へと移ってしまいます。

 

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皆さんお気づきの通り、これもまた「夢か現実かわからない」という演出です。穂乃果が眠りから覚めるという構造も、またその演出により一層の拍車をかけています。

上の画像を見てわかる通り、穂乃果はいつの間にかA-RISEと会話した時と同じ服装に戻っています(上着はありませんが)

断言は出来ませんし、非常に曖昧な言い方になってしまうことも承知で言うと、筆者は女性シンガーとの一連のやりとりと、幻想世界での「水たまりチャレンジ」は文字通り「夢に近い出来事(妄想の類)」であったのではないかと考えています。

 

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省略しますが、絵里のモノローグは続きます。絵里からのメールを受け、穂乃果は自分で答えを出します。

「限られた時間の中で精いっぱい輝こうとするスクールアイドルが好き」だからこそ「μ'sはスクールアイドルとして終わる」というのが穂乃果の答えです。

しかし、それはあくまで自分の中(夢)で出した結論であり、まだ現実のものとなっていません。あくまで自問自答した故に出した結論、つまりインプットなわけで、まだアウトプットが出来ていません。「μ'sをキッチリと終わらせる」ことで、初めて穂乃果の悩みは解決できたと言えます

 

そして穂乃果は「現実の世界」で、今度こそ自分の悩みを解決するために行動します。

 

⊡ そして穂乃果は悩みから解放された

さて、もう色々と端折ります。正直あれもこれもと考察してたらキリがないので(苦笑)。「なんでこれの考察をしないんだ!」と思ったのなら、是非あなたの熱いラブライバーとしての記事を書いてみてください。結局考察に、正解なんてありませんから。

 

穂乃果は「μ'sを終わらせる」ために、最後のライブを全国のスクールアイドルたちと一緒にし、そのライブをもって活動を終了する旨をスクールアイドル達に告げます

 

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その翌朝、絶好のライブ日和と言わんばかりの晴れ間が見えます。幻想世界で穂乃果が跳んでからは、天気は晴ればかりです。これも、穂乃果の心理状態を表しているわけですね。

 

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μ'sはライブ会場となったアキバに、誰一人遅刻することなく集まりました。

 

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昨日穂乃果がμ'sが活動を終了することを告げ、あとはライブを残すのみとなりました

この時点で、穂乃果及びμ'sの悩みは完全に解決しました。それを表す演出とセリフがここから怒涛のように始まります。

 

真姫「きのう、言えてよかったわね。私たちのこと

花陽「うん……」

ことり「そうだね」

海未「わたしもそう思います」

希「もう、穂乃果ちゃんが突然話すからぁ」

穂乃果「ごめんなさい」

 

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これは穂乃果の悩みはμ's全体の悩みだったことの確認のセリフだと、筆者は捉えています。映像としても、各メンバーもμ'sを終わらせることについて悩んでいた描写はありましたが、ここではセリフで表現し、問題が解決したこともメンバーたちと共有しています。

 

絵里「でも、これで何も迷うことも躊躇うこともない。でしょ? 私たちは最後までスクールアイドル。未来のラブライブのために、全力を尽くしましょう!」

穂乃果「絵里ちゃん……うん!」

 

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絵里「いよぉし!UTXまで競争!! 負けた人ジュースおごりぃ~!!」

 

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絵里が唐突にそう言い、メンバーも続いて絵里をおいかけます。この絵里の無邪気な行動は、重要な意味をもっています。

 

凛「先にずるいにゃ~!」

希「負けへんよ~!!」

 

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そして、穂乃果も続いてメンバーを追っかけようとします。

 

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そして、あのカットが出てきます。前編・後編と分けた、この長い記事のゴールにようやくたどり着きました。

 

⊡ ほのかな記憶

 

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穂乃果が花びらを認識すると同時に、微かなピアノのBGMが流れます。「ほのかな記憶」です。

こと細かにこのシーンを見ていきましょう。

まず、絵里の不意打ちで始まったメンバーとの競走ですが、これがそもそも穂乃果のこのシーンを生み出す「トリガー」としての役割を果たしています

絵里がなんの合図も無く、「負けたらジュース奢り」という条件までつけて本当に唐突にかけっこを始めます。この絵里の一連の行動は、シリーズ全般で見せた絵里の大人びた印象とはかけ離れていて、絵里の幼児性を表しています(テレビアニメの絵里のポンコツっぷりにはこの際目をつむってください)

そして、絵里の幼稚な行動に釣られて、穂乃果含めたメンバーはまるで「子供のように」かけっこを始めます

 

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その無邪気で幼稚なかけっこが引き金となり、穂乃果はかつての自分を思い出します。この時流れているBGMが言うように、まさに「ほのかな記憶」というわけです。

花びらについても触れていきましょう。この花びらは当然、女性シンガーとの幻想世界で舞っていた花びらのひとつです。そこで穂乃果が思い出すのは、女性シンガーの言葉「跳べるよ、あの頃のように」というメッセージです

 

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筆者は前編の記事で、女性シンガーは「穂乃果の未来を暗示する存在」と記述しました。ここで大事なのは、過去の穂乃果も、その未来を示す存在(女性シンガー)も同じことの象徴として穂乃果の心に存在しています。

つまり、穂乃果にとって、時間に関係なく普遍的なものは「挑戦する(跳べる)」ことであり、それが彼女にとって「自分らしい」という事の象徴でもあります。

 

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それを強く認識した穂乃果は、文字通り跳んで回り、踊り出します。この瞬間、穂乃果の中で3つの時間軸、すなわち過去と現在と未来が繋がっています。

「いつ」「どんな場所でも」これからは「自分らしくいられる」という解放感に満ち溢れた、この映画を象徴するシーンなのです。

 

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SUNNY DAY SONG。この曲は高坂穂乃果演じる新田恵海さんが「一番好きな曲」だということが某番組で明かされました。筆者も実を言うとμ'sの曲の中で一番好きです)

 

そして、その解放感を歌で表したのが、このあと披露されるSUNNY DAY SONGというわけです。

この歌の歌詞は、まさにその時の穂乃果の気持ちを素直に表した歌詞だと筆者は思っています。

この時の穂乃果及びμ'sは、もう悩み事もなく、いつどこでも自分らしく居られると確信しているので「明日への期待がふくらんでいい気持ち」「幸せの予感に包まれて、なんでも出来そうさ」ということです。

 

以上、今更過ぎる考察でした!!

 

⊡ おわりに

 

さて、如何だったでしょうか。まだまだ考察できるポイントはありますが、ひとつひとつ拾ってしまうと流石に膨大になってしまうので今回はこれくらいにしたいと思います。とはいえ、次回があるとは思えませんが……笑

この映画は非常に象徴的なシーンが多い故に、その解釈も人によって様々です。私がどの記事でも最初に断っていることですが、これが正解だなどというつもりはありません。

映画はある意味観る人の心を映す鏡のように、ひとつひとつのシーンやカットも、観る人によってまた意味が変わったりします。この記事を読んでいるあなたにとって新たな視点や意味が生まれ、またこの素晴らしい映画を観る機会になってくれれば幸いです。

 

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます!!

またどこかでお会いしましょう!

 

それでは皆さんご一緒に!!

 

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にっこにっこに~!!

 

さようなら〜。